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トゥール(tool)/《超次元》〜《第200次元》の音楽(加筆6) [ロック]





トゥールは、1990年に結成されたアメリカロックバンドです。メジャーデビューは1992年です。

前年の1991年にニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がビックヒットしているので、グランジというスタイルかと思えるのですが、どうも違うようです。何なのでしょうか? 専門家の意見を聞きたいものです。今回とりあげたのは、瀬越さんからのコメントに対する遅れた反応なのです。

娘が高校生のころ(もう5・6年以上前になりますか)、よく付き添いでライヴに行かされました。kORN をはじめ、Linkinpark, Nine Inch Nails, System Of A Dawn、Metalika, Green Day, Limpbiskit, Tool などなど。私も結構楽しんではいたのですが、こちらのライヴはほとんどがスタジアムかアリーナなので、PAが最悪の場合が多く、キーんという高音とズシン、ズシンの低音ばっかで、ボーカルなどほとんど聞こえない。なかで、Nine Inch Nails, Limpbiskit, Tool はPA にも非常に気を使っているようで、隅っこの席でも大変にいい音で楽しめました。彦坂さんがどう判定なさるか知りませんが、Tool はピカいちだと思いました。 
by 瀬越義満 (2011-01-19 11:06)  



ニルヴァーナの音楽が、《第100次元》までの音楽であるのに対して、トゥールの音楽は《第200次元》まである音楽であって、その意味では決定的に違う音楽なのです。


つまりニルヴァーナの音楽が、産業社会の最後の音楽であったのに対して、トゥールは情報化社会の音楽であったのです。この変化は、実に大きいのです。つまり《第100次元》から《第200次元》までに、倍に拡大しているのです。この鏡像的な空間の拡大は大きいのです。


『アートの格付け』

彦坂尚嘉責任による[tool
]の芸術分析


《想像界》の眼で《超次元〜第200次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第200次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第200次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現。


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示


《透視音楽》 オプティカル・イリュージョン【A級音楽】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》
《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》
の全概念梯子が有る

《原大衆音楽》が無い。

貴族の芸術である。しかし大衆音楽性が無い。

作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。
《愛玩》《対話》《驚愕》《信仰》《瞑想》という鑑賞構造5つが有る。
情報量が100である。
クリエイティヴである。


トゥールの音は《第200次元》の時代のハード・ロックと言えるように思えるのですが、どうでしょうか。ハードロックとして聞いて、レッドツッペリンと比較してみましょう。



レッドツッペリンと比較してみると、音楽の鏡像的な空間、つまりヴァーチャルリアリティの感覚の拡大が聞こえます。トゥールの方が、空間が大きく聞こえるのです。それに対してレッドツッペリンは、音に密着していて等身大の肉体的なリアリティがあります。





コンピューター・リテラシーによる意識空間のヴァーチャルリアリティによる拡大を積極的にとらえている新しいハードロックが、トゥールであるように私には見えます。このヴァーチャルリアリティによるる意識空間の拡大を受け入れないと、この新しいロック、とは言っても20年も前の音楽ですが、これを受け入れられないのです。

前にとりあげたコーンが、《第101次元》から《第200次元》までの音楽であって、それは
《超次元》から《第100次元》までを欠いていたのです。コーンのロックは、ヴァーチャルリアリティによるる意識空間の拡大の、その拡大の部分だけ、それはつまり鏡像に過ぎないのですが、それだけの音楽を表現しました。

つまりコーンの音楽は、音楽のは下部構造を欠いていたのですが、だからこそ新しいさが際立っていておもしろさがありました。この魅力は、かけがえもないものがあります。

同時に音楽としての下部構造を欠く事で、展開や安定性に問題をもっていたのです。自分たちが何をしているのかを知っていれば継続できたと思うのは、部外者のたわごとに過ぎないでしょう。そもそもこの《第101次元》〜《第200次元》というのはコーンの前には鏡像だけとして存在していたのであって、それは蜃気楼のような「うつろいゆくもの」であったから、持続は原理としても不可能なのです。



タグ:トゥール tool

2011-02-15 [ロック]

トゥール(tool)/《超次元》〜《第200次元》の音楽



トゥールは、1990年に結成されたアメリカロックバンドです。メジャーデビューは1992年です。

前年の1991年にニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がビックヒットしているので、グランジというスタイルかと思えるのですが、どうも違うようです。今回とりあげたのは、瀬越さんからのコメントに対する遅れた反応なのです。

娘が高校生のころ(もう5・6年以上前になりますか)、よく付き添いでライヴに行かされました。kORN をはじめ、Linkinpark, Nine Inch Nails, System Of A Dawn、Metalika, Green Day, Limpbiskit, Tool などなど。私も結構楽しんではいたのですが、こちらのライヴはほとんどがスタジアムかアリーナなので、PAが最悪の場合が多く、キーんという高音とズシン、ズシンの低音ばっかで、ボーカルなどほとんど聞こえない。なかで、Nine Inch Nails, Limpbiskit, Tool はPA にも非常に気を使っているようで、隅っこの席でも大変にいい音で楽しめました。彦坂さんがどう判定なさるか知りませんが、Tool はピカいちだと思いました。 
by 瀬越義満 (2011-01-19 11:06)  



ニルヴァーナの音楽が、《第100次元》までの音楽であるのに対して、トゥールの音楽は《第200次元》まである音楽であって、その意味では決定的に違う音楽なのです。


つまりニルヴァーナの音楽が、産業社会の最後の音楽であったのに対して、トゥールは情報化社会の音楽であったのです。






ナイン・インチ・ネイルズ/Nine Inch Nails [ロック]

ナイン・インチ・ネイルズは、アメリカのロックバンドで、1989年にデビュー。

この年に村上隆が初個展をしているので、村上隆と同時代のバンドです。

非常に評価の高いバンドで、グラミー賞を2回、ベスト・メタル・パフォーマーに選出されています。

この評価の高いバンドを、彦坂尚嘉の芸術分析で再評価をしてみようと言うのが、今回のこのブログの目的です。



まず、コメント欄に瀬越義満さんが、 Nine Inch Nailsの名前を書いてくださいました。それに答えて、negaDEATH(a.k.a 笹山直規)さんが、次のように書いてくださいました。


瀬越様
上記で挙げられたバンドも私は良く聞いておりました。
友人に聞かすと「Nine Inch Nailsは芸術として認める」という反応が多かったです。セカンドアルバム「The Downward Spiral」が別格で、私も芸術性が高いと思っています


というわけで、彦坂尚嘉が《言語判定法》を使って、ナイン・インチ・ネイルズの音楽を芸術分析してみます。はたしてコーンのような芸術音楽なのでしょうか?



『アートの格付け』 彦坂尚嘉責任による 
[ナイン・インチ・ネイルズ]の芸術分析 

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》《真性の芸術》 
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》《真性の芸術》 
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》《真性の芸術》 

《想像界》の音楽である。
ただし《象徴界》《現実界》《サントーム》の3界をもつ表現は無い。 

プラズマの様態をもつ表現。
ただし気体/液体/固体/絶対零度の様態は無い。 

《気晴らしアート》である。ただし《シリアス・アート》性は無い。 

《ローアート》である。ただし《ハイアート》性は無い。

 シニフィエ的な表現である。ただしシニフィアン的な表現は無い。

 原始脳の表現である。ただし理性脳性は無い。 

【B級音楽】である。ただし【A級音楽】性は無い。

 《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の全概念梯子が無い。 

《原大衆音楽》《大衆音楽》《反大衆音楽》《非大衆音楽》《無大衆音楽》《大衆音楽の形骸》《大衆音楽の炎上》《大衆音楽の崩壊》の概念梯子が有る。 
ただし《世間体の大衆音楽》性は無い。

 大衆芸術である。ただし貴族芸術では無い。

 作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。 

《愛玩》《対話》《驚愕》《瞑想》《信仰》という5つの鑑賞構造が有る。 

情報量が100である。情報アートである。 

クリエイティヴである。

彦坂尚嘉の芸術分析によると《第6次元 自然領域》の大衆音楽バンドです。つまりコーンとは、ずいぶんと違う音楽なのです。

negaDEATH(a.k.a 笹山直規)さんのお友達が「Nine Inch Nailsは芸術として認める」という反応に対しては、意見が違っていて、彦坂尚嘉はNine Inch Nailsは芸術ではないと判断します。実際、コーンに感動するような面白さはないというのが私の本音です。

しかし特筆すべき事は、従来の《第6次元 自然領域》のバンドとは違う事です。まず、プラズマの様態を持ち,グローバルな巨大空間性をもった音楽であるという事です。

もう一つ大衆音楽でありながら、《世間体の音楽》では無いという事です。これは方法的にも有効で、その結果としてクリエイティブになっていると思います。

もうひとつ驚く事は、《愛玩》《対話》《驚愕》《瞑想》《信仰》という5つの鑑賞構造が有ることです。だからこそnegaDEATH(a.k.a 笹山直規)さんのお友達が「Nine Inch Nailsは芸術として認める」という反応をしたのだろうと思います。

以上彦坂尚嘉が分析した特徴というのは、面白いと思うし、高く評価できる事です。つまりナイン・インチ・ネイルズは、新しいグローバル時代の《第6次元 自然領域》のプラズマ大衆音楽バンドであったと評価するのです。


コーン/《第101次元》〜《第200次元》の音楽 [ロック]

 negaDEATH(a.k.a 笹山直規)さんが紹介していた、コーンのファーストアルバムからの演奏です。既に述べたように、ここには《第101次元》から《第200次元》だけという、新しい音楽があります。

《言語判定法》では、《原-芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》、そして《形骸・炎上・崩壊》という芸術の概念梯子があります。つまり、彦坂尚嘉が考えるところの芸術音楽であるのです。

言い換えると、これは大衆音楽ではありません。むかしならば貴族の音楽といったものなのです。なぜに、下層の奴隷の音楽であるブルースから芸術音楽が出現し、その伝統が、このコーンのような1990年代のミクスチャーロックの中にまで継続してくるのか?

そういう謎の中に、ブルースの芸術音楽の出現の奇跡は、継続しているのです。しかし日本の多くの人は、実は、こうしたブルースの系譜の芸術音楽を聴いてはくれないのです。コーンの1枚目にあるのは、こうした現代の芸術音楽です。私たちが情報革命後の、新たにさらに疎外された生命の状況に至っていることをとらえた表現なのです。

識字革命は、人類の歴史を形成する必然なのであるのですが、それは同時に疎外のさらなる過酷化の歴史なのです。それに対して逃げないで、耐える事が必要なのです。コーンの音楽は、そのことを示したいたと思います。













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「スラッシュメタル四天王」について(改題1改稿2) [ロック]

ロックの趣味も多様化しているので、ラウドロックとか、スラッシュ・メタルといわれた音楽を聞ける人と、聞けない人に分かれているのが現状です。

『Thrash』とは「ムチ打つ」という意味で、HR/HM(ハードロック・ヘヴィメタル)をさらに過激にした音楽です。ギターリフに重きを置き、スピード感を重視した早弾きで聞かせるロックです。

聞けない人が多いと思いますが、料理で言えば、辛いカレーとか、辛い柿の種のようなものです。我慢すれば食べられるし、聞く事ができるのです。

スラッシュそのものは1980年初頭に出現しました。もはや時間がたって、今日では古典となっています。

頭に用意しているYouTube画像は、メガデスというバンドのリーダーであるデイヴ・ムステインが、戦車を乗っ取って暴走し、殺されるというミニ映画です。笑えるので、これだけでも見ていただければと思います。事件そのものは実際に起きて、なかなか凄い破壊力です。その本物の画像に、デイヴ・ムステインの画像を合わせてフィクションに仕立てられています。

メガデス     デイヴ・ムステイン

しかしスラッシュ・メタルという音楽でも、実はいろいろあって、このメガデスは、インテレクチャルス・ラッシュを標榜しています。つまり知的であろうとしているのです。

音楽的には、非常に複雑でテクニカルなギターリフ、演奏のむずかしい曲展開をなしとげる技術の高さを特徴としています。歌詞もまた政治性の強いもので核戦争や政府の陰謀、表現の自由などを歌います。そういうわけで音楽性を豊かに展開したバンドでした。

メンバー・チェンジが激しいバンドで、事実上はムステインのワンマンバンドですが、ジャズなどのうまい演奏家を次々に導入して、非常に良い音楽を発信し続けたのです。

つまり彦坂尚嘉の《現実判定法》では、実はメガデスの音楽には《原-大衆音楽》というものがなくて、《大衆音楽》ではないと判断されるのです。

大衆音楽というのは、リズムやメロディーの直接的なストレートな官能性で成立している音楽です。メガデスの音楽は、知的で複雑なリズムやリフ、間接性をもったメロディやヴォカルで、ストレートな大衆芸術とは違うズレを持っているのです。

YouTube画像で見ると、ものすごい数の観客を集めた演奏になっています。これだけの人を集めているので、大衆音楽であると考えられるものです。これだけの観客を集めていて、大衆音楽ではないというのは、矛盾であって、説得力のある論理には聞こえないでしょう。

しかし4大スラッシュバンドというものがありますが、その中で、同じスラッシュでも、唯一《原-芸術》性のあるバンドなのです。

つまりメガデスは、彦坂尚嘉の《現実判定法》では、芸術音楽であるということになります。つまり、一聴すると刺激が強いので大衆音楽と間違えるのですが、じつはそれが複雑である事で間接化されているのです。

こういう音楽に《芸術》性があるということを認めたくない人が大半以上だとは思いますが、しかし彦坂尚嘉の《現実判定法》での判断は、このメガデスに《原-芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《形骸・炎上・崩壊》の芸術概念の梯子があると考えています。

聞きにくい音楽だとは思いますが、それは《象徴界》の芸術音楽だからです。我慢出来る人であれば、次の一曲も聞いてみてください。

その後に、大衆音楽のメタリカを取り上げています。メタリカは《想像界》の聞きやすい大衆音楽のスラッシュバンドです。ですので、その前にメガデスの《象徴界》の《芸術音楽》?を聞いて、聞き比べてください。

メガデス 《象徴界》の《芸術》音楽

同じスラッシュ・メタルでも、《想像界》の音楽で、大衆音楽なのが、メタリカです。

もちろん大衆音楽ですから人気を集めていて、多くの人に好かれています。子供にも好かれるバンドです。私の子供が3歳のときに聞かせたら、キャッキャと言いながら踊りました。そういう音楽が大衆音楽なのです。

リフは単純で、曲も分かりやすく、演奏も荒っぽいものです。メガデスの演奏の精緻さは、メタリカにはありません。しかしだからこそ大衆に分かるものであり、愛されるものなのです。シングルとアルバム総売り上げは1億枚を超え、1990年代の全米アルバム総売り上げ4位のビッグ・バンドです。

メタリカ 《想像界》の大衆音楽



同じスラッシュ・メタルでも、《反芸術》というか、《反音楽》のスラッシュバンドが、スレイヤーです。《反芸術》ですから、もっと聞きにくいです。精神異常、死体、自殺、戦争などの歌詞が過激で、訴訟や発売禁止を繰り返してきています。このスレイヤーの音楽は大衆音楽で、しかも《現実界》の音楽です。

ここで彦坂尚嘉が《現実界》というと、また批判が起きるかもしれません。しかし私を批判しているのは、ラカンの専門家ではなくて、ラカンの本も読んでいない素人なのです。

私がラカンを読み始めたきっかけは、日本ラカン協会の初代理事長の佐々木孝次さんです。佐々木氏がラカンの精神分析をフランスで受けて、パリで自己分析の過程を描いた『心の探究』を出版して、それを読んだことです。

実はその前に佐々木氏は『母親・父親・掟 ・・・精神分析による理解』をせりか書房から1979年に出版しています。私自身は父親のいない私生児として生まれて苦しんでいたので、この『母親・父親・掟 ・・・精神分析による理解』という本は、大きな影響を受けます。

次いで2冊本のラカンの主著『エクリ』を買って読んでいます。つまり私は1979年からラカン関係の本を読んで32年を経ているのです。その32年の過程では、現在の2代目の日本ラカン協会の理事長の若森 栄樹氏の著作『精神分析の空間』弘文堂 1988からも大きな影響を受けています。

彦坂尚嘉自身は日本ラカン協会の幹事をしていて、先日も大会開催のお手伝いをしています。日本ラカン協会しのものは、文献学的な傾向が強くて、フランス語でラカンを読む事が基本的なものです。

理事長の若森 栄樹氏とお話もしています。東京大学の助教授の原和之准教授は日本ラカン教会の事務局長をやられていますが、今回もお話をしています。原氏はラカンの文献研究者としてはすぐれている方です。あるいは福田 肇(フランス・レンヌ第一大学)さんと伊藤啓輔(専修大学)さんのラカンをフランス語で読む読書会にも出席しています。ここには哲学者の中島義道氏も協力なさっていらっしゃって、お話もしています。

自分でもラカンの読書会を主催して40回になっています。

こういう努力をしている私を、ラカンを1冊も買ってもいないし読んでもいない人が、32年も読んでいる彦坂尚嘉のラカン用語の使い方はトンでもないものだと批判するのです。

それはまずラカンの思想の過激さを読んでいない事によります。

その上に、私が、ラカンの思想と用語を、《現実判定法》を使って現実の測定に展開しているからです。ラカンそのものは臨床医ではありますが、科学者である以上に哲学者であって、思想的な展開力が強くて、必ずしも事実を測定しているとは言えない所があるからです。一方の私は、《言語判定法》で現実を測定している観察者なのです。ラカンを読んだ上で《現実界》という言葉を、現実のある特定のものに投げかけてみると、ラカンの定義とは別のものの反応が起きるのです。彦坂尚嘉が測定しているのは、そうしたやり方です。

さて、そういう訳で、《言語判定法》で、《現実界》というラカンの用語を音楽に投げかけて、その反応を取ると,スレイヤーの音楽は《現実界》の音楽なのです。まずは、聞いていただきたいと思います。聞いてもらうと、《現実界》であるというは納得いく面があるはずなのです。

 
スレイヤー 《現実界》の大衆芸術

スラッシュ4天皇の最後のバンドがアンスラックスです。このバンドは、ライブで見ないと、本当の良さは分かりませんが、大衆バンドではありますが、観客とのコミュニケーションの質が、非常にレベルの高いバンドなのです。彦坂尚嘉の《言語判定法》では、《サントーム》のバンドであると出ます。

つまり メガデス・・・・・・・《象徴界》の音楽
    メタリカ・・・・・・・《想像界》の音楽
    スレイヤー・・・・・・《現実界》の音楽
    アンスラックス・・・・《サントーム》の音楽

という風に、スラッシュというのは、4界に棲み分けをしているのでした。

アンスラックス 《サントーム》の大衆芸術

スラッシュの4天皇と言われるバンドが、実は《象徴界》《想像界》《現実界》《サントーム》と、ラカンの4つの精神世界に分裂してすみ分けていると見えるのです。このことは、しかしスラッシュの4バンドを聞いてきていないと分からないし、理解出来ないでしょう。ともあれ、こうしてラカンの《象徴界》《想像界》《現実界》《サントーム》という4区分は、今日では一つの構造として出現してきているように思います。

さて、後は《芸術》であるメガデスのライブをお楽しみください。















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