黒沢明の原発事故の映画/夢 [映画]
松永康さんに教えられて、黒沢明の原発事故の映画を見て驚きました。 実は、これに関するちゃんとしたブログの書いたのですが、時間がかかりすぎてアップに失敗して全部消えてしまいましたので、とりあえず、ご紹介だけにしておきます。
コメント欄で、無名士より教えていただいたので、絵コンテもアップしておきます。
バットボーイズ3本/キッチュとエンターテイメントと芸術(改題2訂正1) [映画]
コメント欄に、瀬越氏より、次のような書き込みをいただいた。
彦坂さんのブログは知的なエンターテインメントとして楽しんでいましたので、早い時期に落ち着かれて、またアートを中心とした記事が戻ってくるのを楽しみにしています。
「きばらし」なのです。そして「きばらし」というのは、人間の本質にある空虚さにつながる問題なのです。このことは、以前にこのブログでも書いているので、ここでは省略します。
《第200次元》の領域なのですが、これはバーチャルリアリティの領域で、情報革命が進展する中で、あらたな文明の特徴として出現してきたものです。
マイケル・ベイの娯楽映画は、「大衆芸術」でも無いという事に、その大きな特徴があります。
たとえば「ターミネーター」という映画は、ヒットした「大衆芸術」でしたが、それは彦坂尚嘉の『アートの格付け』で言えば《第8次元》/《第51〜100次元》のものであって、キッチュであったのです。
《第8次元 信仰領域》と《第51〜100次元 キッチュ領域》の大衆芸術
日本映画の新作の『バッドボーイズ』も、《第8次元》/《第51〜100次元 キッチュ領域》の大衆芸術です。《第8次元》というのは、良いと思う人には良いと思える信仰領域です。食べ物で言えばB級グルメであって、『すき家』の牛丼なのです。
《第8次元 信仰領域》と《第51〜100次元 キッチュ領域》の大衆芸術
マイケル・ベイのエンターテイメント映画はあります。それは新しい情報化社会の表現の特徴なのです。
まずは、『バットボーイズ2』(2003年)の予告編を見てください。
本当は2ではなくて、彼のデビューの1995年の作品『バットボーイズ』の1を取りあげたかったのですが、良い動画を見つけられませんでした。
このデビューからして、撮影技術が斬新で、非常に印象的な映画監督でした。
《超次元》〜《第200次元》のエンターテイメント
デザインエンターテイメント」という用語は、相対化されてしまって、再考する必要のあるものであると言えます。
特殊撮影の車両を独自に開発し、さらに自分自身でも撮影をしてみせる非常に創造性の高い映画監督です。しかしそれがまったく芸術ではなくて、純粋にエンターテイメントであることが、凄いのです(笑)
整理すると、「大衆芸術」という言い方は誤解を招くので、「キッチュ」という用語に統一していきたいのですが、キッチュな映画は、今も大量に作られていますが、キッチュは、実は古い近代特有の表現であったのです。それは《第51次元》から《第100次元》まである領域で、「近代の闇」といわれたものであったのです。これと《第8次元 信仰領域》のくみあわせなのですが、これが今日でも多数作られているのですが、しかし、新しい情報化社会特有の表現は、《第101次元》から《第200次元》まであるエンターテイメントにとって変わられつつあると言えるのです。
【続きは下記をクリックして下さい】
タグ:バッドボーイズ
キッチュが《芸術》になるとき/クエンティン・タランティーノとニムロッド・アーントル [映画]
2期目の立教大学大学院の今学期の授業は終わ終わりました。特任なので最大で4年ですので、半分が終わった事になります。
立教大学大学院の今学期の授業は終わって、数日前には修士論文の審査をした。私も審査に加わった論文2つは、2つのともキッチュに関わるもので、結果としては良くないもので、一つは不合格になりました。
キッチュに関しては2つの授業、一つはサブカルチャー論で、もう一つはグリンバーグのテキストを読む授業でしたが、ここで教えた事もあって、私自身が学習して論理化が進んで良かったと思っています。
そうした学習を背景に論じると、キッチュと《芸術》は、実は非常に密接な関係にあります。このことを明確に示したのは、美術でよりも映画の方が鮮明でありました、その重要な監督は言うまでもなくクエンティン・タランティーノでありましたが、もう1人がニムロッド・アーントルです。
彦坂尚嘉責任によるタランティーノの顔の格付け
《超次元》から《第200次元》の顔
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界がある。
人格の温度:プラズマ状態
人格の大きさ:グローバル空間
もう1人のニムロッド・アーントル(Nimrod Antal)監督というのは、1973年ロサンゼルス生まれのハンガリー育ちのアメリカ人です。
彦坂尚嘉責任によるアーントル監督の顔の格付け
《超次元》から《第200次元》の顔
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界がある。
人格の温度:プラズマ状態
人格の大きさ:グローバル空間
この映画監督の作品に、興味を持ったのは、大衆芸術の映画としてしか見えないジャンルの映画を撮りながら、彦坂尚嘉の《言語判定法》では《芸術》映画になっていることです。
ニムロッド・アーントル監督のハリウッド映画デビュー作が『モーテル』という2007年制作の映画です。まず、この予告編の【YouTube画像】を見てください。話は、モーテルで、泊まり客を殺してビデオを撮影し、その殺人ビデオを売っているという話で、自分たちが殺人ビデオの被写体だと知った夫婦の恐怖を描くホラー・スリラーです。しかし
彦坂尚嘉責任による
[映画『モーテル』]の芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。
《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
原始脳の表現と理性脳の表現の同時表示。
《透視映画》オプティカル・イリュージョン映画【A級映画】
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の全芸術概念梯子が有る。
[映画『モーテル』]の芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。
《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
原始脳の表現と理性脳の表現の同時表示。
《透視映画》オプティカル・イリュージョン映画【A級映画】
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の全芸術概念梯子が有る。
《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原デザイン》《原シンボル》の概念梯子が無い。
貴族映画である。ただし大衆映画では無い。
作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。
《愛玩》《対話》《驚愕》《信仰》《瞑想》という鑑賞構造5つが有る。
情報量が100である。情報アートである。
クリエイティブでは無い。
『モーテル』という邦題ですが、英語の原題は 『Vacancy』というもので、直訳すれば「空虚、空、空間、すき間、(地位などの)空位、欠員、(ホテルなどの)空室」というものです。
話は《ホラー・サスペンス》であるのですが、その題名が禅を思わせる《空》であるというのも奇妙であります。そして。その内容もホラーでありながら彦坂尚嘉の《言語判定法》では《大衆芸術》ではなくて、《芸術》になっているのです。ただし《芸術》という時にそれは《純粋芸術》というものではありません。つまり《大衆芸術》でもなく《純粋芸術》でもないのですが、《芸術》になっているのです。
この《ホラー・サスペンス》を芸術である、しかも貴族映画であると彦坂尚嘉が言うと、信じない人々が多くいると思うのです。それは本物の《キッチュ》なホラー映画を見ていないからです。『モーテル』が露骨な流血シーンを用いず、モーテル支配人の奇妙な振る舞いや不気味な無言電話といった描写を積み重ね、緊迫感を盛り上げているのに対して、キッチュの代表であるトビー・フーバー監督の名作『悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre)』は、残虐シーンや死体描写に満ちているのです。予告には、本編ほどの残虐さはありませんので、安心して見てください。それでも、まったく次元が違う事がわかります。
両方とも、アメリカの大量殺人の恐怖を描いたものですが、その描き方には、本編を見比べると大きな差があるのです。
このことは、タランティーノの『キル・ビル』という《芸術》映画と、その下敷きとなった 伊藤俊也監督『女囚701号さそり』というキッチュの名画を比較する事でも、より明確に分かると思います。
キッチュだからといって、彦坂尚嘉が低く見ているのではありません。藤俊也監督『女囚701号さそり』シリーズは3本作られていますが、どれも名作で、なかなか凄いエロティックで残虐で、人権無視の壮絶なSM映画です。タランティーノがオマージュを捧げただけのことはある作品なのです。【YouTube画像】は予告編ではなくて、主演の梶芽衣子の歌のビデオです。
このように比較してくると、キッチュ映画と、それを下敷きにして高度な芸術映画にしたものの差があることが分かります。
このことを激しく示して見せたのはニムロッド・アーントル監督の第2作目の『アーマード武装地帯』でした。それは驚くほどに抑制された映画で見終わって心に残る映画でありました。
凄いのは、まずこのポスターです。ここにある凶暴なアクション映画の表象は、巧妙につくられたもので、映画の実際の主役は、後ろの列にしる黒人で目立たないのです。
一番凶暴に見えるローレンス・フィッシュバーンの活躍を期待した観客は、ものの見事にはぐらかされるのです。、銃撃戦も爆発シーンも無いハリウッド・アクション映画であったのです。キッチュ映画に見せかけながら、ものの見事に《芸術》映画を成立させているのです。
ゴダールのソシアリズム(加筆1) [映画]
ゴダールのソシアリズムを見てきました。
太田丈夫さんに誘っていただいて、一度徹夜になってお約束をキャンセルしたのですが、今日は忙しいにも関わらず、これを逃せば見られなくなると、頑張って行ってきました。念のために夜も早くに寝て、居眠りをしないようにして行きました。
私は実は学生時代にゴダールに熱狂した世代であったのですが、見たのは学生時代に限られていました。とは言っても次の四本しか見ていませんでした。
長編処女作『勝手にしやがれ』(1959年)
『気狂いピエロ』(1965年)
『中国女』(1967年)
『ウイークエンド』(1967年)
(時間切れです、この項つづく)
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ゴダールが作った予告編がサイトにあるます。作品のすべてを早回しで収録した予告編というすごいものです。下記をクリックすると見られるはずです。
(この項つづく)
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《第200次元》の映画/ハート・ロッカー(改題) [映画]
この『ハートロッカー』という映画は、今日の私たちが生きる空間を、イラクの日常的な戦場をとおして、正確に、描いていると思いました。
アメリカが作った戦争映画を、少なからず見てきましたが、今までに無い外部性=現実界を描いた作品です。
この映画を見る前と、後では、日本の現実を見る目が変わったのです。ラカン用語を使えば、私たちの日常の都市空間が現実界であるということを了解したのです。
もっともこんな事を書くと、「現実界」と言う言葉の使い方がラカンと違いすぎるという、いつものご批判を受けるでしょうが、この映画に出現しているイラクの街は、まさにラカン的な意味での現実界であって、いつ狙撃されるか、いつ爆弾が爆発するか分からない緊張に満ちている街なのです。
はじめ、この映画をレンタルビデオ屋から借りてきて見たときに、ビデオカメラで撮影したのかと思ったのですが、実際には16ミリカメラ4台で撮影したとの事。
第82回アカデミー賞:受賞
作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、
音響効果賞、録音賞
第63回英国アカデミー賞:受賞
作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、
音響賞、撮影賞
ハリウッド映画祭:監督賞、ブレイクスルー男優賞
ゴッサム賞:作品賞、アンサンブル演技賞
2009年ナショナル・ボード・オブ・レビュー:ブレイクスルー男優賞
第35回ロサンゼルス映画批評家協会賞:作品賞、監督賞
第75回ニューヨーク映画批評家協会賞:作品賞、監督賞
ボストン映画批評家協会賞:作品賞、監督賞、
主演男優賞、撮影賞、編集賞
第44回全米映画批評家協会賞:作品賞、監督賞、主演男優賞
第14回サテライト賞:作品賞 (ドラマ部門)、
主演男優賞 (ドラマ部門)、監督賞、編集賞
全米製作者組合賞:作品賞
全米監督組合賞:作品賞
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賞を104も受賞しているにも関わらず、実は16ミリカメラで撮影した低予算映画で、Bクラスの映画なのです。貴族映画ではなくて、大衆映画です。
そして
彦坂的に言うと、この映画は《超次元》から《第200次元》まである、極めて今日的な映画であったのです。『アートの格付け』
彦坂尚嘉責任による[映画ハートロッカー]の芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第200次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第200次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第200次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現。
《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示
【B級映画】である。
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の
の概念梯子が有る
。
《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原シンボル》の概念梯子が有る。
大衆映画である。
作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。
《驚愕》という鑑賞構造が有る。
情報量が100である。
クリエイティヴである。
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この気体分子ギャラリーでのオークションの活動の中で、
《第200次元》までの作品を追いかけることが、客観的に良いかどうかは、疑問に思う気持ちはあります。もっと小さくまとまっているべきではありましょう。
しかし自分が面白いと言う感覚で言うと、この映画をはじめとして《第200次元》まであると見つけるものが、納得のいく表現ではあります。
コメントを書いてくださったnaさんは、次のように質問してくださいました。
彦坂様、200次元の発見にまで至った、という事は200次元の作品の制作に向かうのでしょうか?
毎日オークション参加者としては、素朴に楽しみであります。
毎日オークション参加者としては、素朴に楽しみであります。