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キッチュが《芸術》になるとき/クエンティン・タランティーノとニムロッド・アーントル [映画]

2期目の立教大学大学院の今学期の授業は終わ終わりました。特任なので最大で4年ですので、半分が終わった事になります。

立教大学大学院の今学期の授業は終わって、数日前には修士論文の審査をした。私も審査に加わった論文2つは、2つのともキッチュに関わるもので、結果としては良くないもので、一つは不合格になりました。

キッチュに関しては2つの授業、一つはサブカルチャー論で、もう一つはグリンバーグのテキストを読む授業でしたが、ここで教えた事もあって、私自身が学習して論理化が進んで良かったと思っています。

そうした学習を背景に論じると、キッチュと《芸術》は、実は非常に密接な関係にあります。このことを明確に示したのは、美術でよりも映画の方が鮮明でありました、その重要な監督は言うまでもなくクエンティン・タランティーノでありましたが、もう1人がニムロッド・アーントルです。
Quentin_Tarantino.jpg

彦坂尚嘉責任によるタランティーノの顔の格付け

《超次元》から《第200次元》の顔
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界がある。
人格の温度:プラズマ状態
人格の大きさ:グローバル空間



もう1人のニムロッド・アーントル(Nimrod Antal)監督というのは、1973年ロサンゼルス生まれのハンガリー育ちのアメリカ人です。

nimrod-antal-predator.jpg
Nimrod-Antal.jpg

彦坂尚嘉責任によるアーントル監督の顔の格付け

《超次元》から《第200次元》の顔
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界がある。
人格の温度:プラズマ状態
人格の大きさ:グローバル空間


この映画監督の作品に、興味を持ったのは、大衆芸術の映画としてしか見えないジャンルの映画を撮りながら、彦坂尚嘉の《言語判定法》では《芸術》映画になっていることです。


ニムロッド・アーントル監督のハリウッド映画デビュー作が『モーテル』という2007年制作の映画です。まず、この予告編の【YouTube画像】を見てください。話は、モーテルで、泊まり客を殺してビデオを撮影し、その殺人ビデオを売っているという話で、自分たちが殺人ビデオの被写体だと知った夫婦の恐怖を描くホラー・スリラーす。しかし

vacancy_ver3.jpg





彦坂尚嘉責任による
[映画『モーテル』]の芸術分析


《想像界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜200次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。


《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
原始脳の表現と理性脳の表現の同時表示。

《透視映画》オプティカル・イリュージョン映画【A級映画】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》
《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の全芸術概念梯子が有る。

《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原デザイン》《原シンボル》の概念梯子が無い。

貴族映画である。ただし大衆映画では無い。
作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。
《愛玩》《対話》《驚愕》《信仰》《瞑想》という鑑賞構造5つが有る。
情報量が100である。情報アートである。
クリエイティブでは無い。



『モーテル』という邦題ですが、英語の原題は 『Vacancy』というもので、直訳すれば「空虚、空、空間、すき間、(地位などの)空位、欠員、(ホテルなどの)空室」というものです。

話は《ホラー・サスペンス》であるのですが、その題名が禅を思わせる《空》であるというのも奇妙であります。そして。その内容もホラーでありながら彦坂尚嘉の《言語判定法》では《大衆芸術》ではなくて、《芸術》になっているのです。ただし《芸術》という時にそれは《純粋芸術》というものではありません。つまり《大衆芸術》でもなく《純粋芸術》でもないのですが、《芸術》になっているのです。

このホラー・サスペンス》を芸術である、しかも貴族映画であると彦坂尚嘉が言うと、信じない人々が多くいると思うのです。それは本物の《キッチュ》なホラー映画を見ていないからです。『モーテル』が露骨な流血シーンを用いず、モーテル支配人の奇妙な振る舞いや不気味な無言電話といった描写を積み重ね、緊迫感を盛り上げているのに対して、キッチュの代表であるトビー・フーバー監督の名作『悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre)』は、残虐シーンや死体描写に満ちているのです。予告には、本編ほどの残虐さはありませんので、安心して見てください。それでも、まったく次元が違う事がわかります。

texas-chainsaw-movie-poster-2.jpg


両方とも、アメリカの大量殺人の恐怖を描いたものですが、その描き方には、本編を見比べると大きな差があるのです。

このことは、タランティーノの『キル・ビル』という《芸術》映画と、その下敷きとなった 伊藤俊也監督『女囚701号さそり』というキッチュの名画を比較する事でも、より明確に分かると思います。

killbill1.jpg


キッチュだからといって、彦坂尚嘉が低く見ているのではありません。藤俊也監督『女囚701号さそり』シリーズは3本作られていますが、どれも名作で、なかなか凄いエロティックで残虐で、人権無視の壮絶なSM映画です。タランティーノがオマージュを捧げただけのことはある作品なのです。【YouTube画像】は予告編ではなくて、主演の梶芽衣子の歌のビデオです。

DSTD02102.jpg



このように比較してくると、キッチュ映画と、それを下敷きにして高度な芸術映画にしたものの差があることが分かります。

このことを激しく示して見せたのはニムロッド・アーントル監督の第2作目の『アーマード武装地帯』でした。それは驚くほどに抑制された映画で見終わって心に残る映画でありました。

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凄いのは、まずこのポスターです。ここにある凶暴なアクション映画の表象は、巧妙につくられたもので、映画の実際の主役は、後ろの列にしる黒人で目立たないのです。

10022102_Armored_01-1.jpg

一番凶暴に見えるローレンス・フィッシュバーンの活躍を期待した観客は、ものの見事にはぐらかされるのです。、銃撃戦も爆発シーンも無いハリウッド・アクション映画であったのです。キッチュ映画に見せかけながら、ものの見事に《芸術》映画を成立させているのです。











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