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バットボーイズ3本/キッチュとエンターテイメントと芸術(改題2訂正1) [映画]


コメント欄に、瀬越氏より、次のような書き込みをいただいた。

彦坂さんのブログは知的なエンターテインメントとして楽しんでいましたので、早い時期に落ち着かれて、またアートを中心とした記事が戻ってくるのを楽しみにしています。 
by 瀬越義満 (2011-03-31 22:29) 

福島原発の危機は深刻で、さすがの私も書けなくなってきています。あまり悲観的な記事というのも不愉快だけですので、エンターテイメントも必要だと思って、違う記事も書いて行きます。

bad-boys-2-1-800.jpg

エンターテイメントとは、何か? 

エンタメは、実は、人間の本質にせまる深い問題であって、このことはパスカルが『パンセ』の中で「きばらし」の問題として書いていることです。つまりエンターテイメントというのは、「きばらし」なのです。そして「きばらし」というのは、人間の本質にある空虚さにつながる問題なのです。このことは、以前にこのブログでも書いているので、ここでは省略します。

エンターテイメントの表現の特徴は《実体的》であるのですが、議論をするとむずかしくなるので、ここで取りあげたいのは、エンターテイメントの本質ではなくて、今日の変貌です。

マイケル・ベイというアメリカの映画監督は、CMディレクターからの出身ですが、非常にスタイリッシュで、しかも狂気を含んだ《超次元》から《第200次元》までの映像を作り出すことで特筆すべき天才の1人です。

《第200次元》というのは、正確には《第101次元》から《第200次元》の領域なのですが、これはバーチャルリアリティの領域で、情報革命が進展する中で、あらたな文明の特徴として出現してきたものです。

Michael-Bay_0.jpg
マイケル・ベイ 《第2次元 技術領域》の映画監督

重要なことは、マイケル・ベイの映画が、まったく芸術ではないことです。

しかも、それはキッチュでもないということです。

このことを、より強調するために、「大衆芸術」という言葉を使うと、マイケル・ベイの娯楽映画は、「大衆芸術」でも無いという事に、その大きな特徴があります。

terminator_1.jpg

たとえば「ターミネーター」という映画は、ヒットした「大衆芸術」でしたが、それは彦坂尚嘉の『アートの格付け』で言えば《第8次元》/《第51〜100次元のものであって、キッチュであったのです。

《第8次元 信仰領域》と《第51〜100次元 キッチュ領域》の大衆芸術



日本映画の新作の『バッドボーイズ』も、《第8次元》/《第51〜100次元 キッチュ領域の大衆芸術です。《第8次元》というのは、良いと思う人には良いと思える信仰領域です。食べ物で言えばB級グルメであって、『すき家』の牛丼なのです。

 
《第8次元 信仰領域》と《第51〜100次元 キッチュ領域》の大衆芸術

つまりキッチュではない、純粋のエンターテイメントとして自立した表現としてマイケル・ベイのエンターテイメント映画はあります。それは新しい情報化社会の表現の特徴なのです。

まずは、『バットボーイズ2』(2003年)の予告編を見てください。

本当は2ではなくて、彼のデビューの1995年の作品バットボーイズ』の1を取りあげたかったのですが、良い動画を見つけられませんでした。

このデビューからして、撮影技術が斬新で、非常に印象的な映画監督でした。


《超次元》〜《第200次元》のエンターテイメント



マイケル・ベイの映画を見ると、私の使ってきた「デザインエンターテイメント」という用語は、相対化されてしまって、再考する必要のあるものであると言えます。

特殊撮影の車両を独自に開発し、さらに自分自身でも撮影をしてみせる非常に創造性の高い映画監督です。しかしそれがまったく芸術ではなくて、純粋にエンターテイメントであることが、凄いのです(笑)

整理すると、「大衆芸術」という言い方は誤解を招くので、「キッチュ」という用語に統一していきたいのですが、キッチュな映画は、今も大量に作られていますが、キッチュは、実は古い近代特有の表現であったのです。それは《第51次元》から《第100次元》まである領域で、「近代の闇」といわれたものであったのです。これと《第8次元 信仰領域》のくみあわせなのですが、これが今日でも多数作られているのですが、しかし、新しい情報化社会特有の表現は、《第101次元》から《第200次元》まであるエンターテイメントにとって変わられつつあると言えるのです。


【続きは下記をクリックして下さい】

『バットボーイズ』というと、もうひとつ印象的な映画に、1983年に製作されたリック・ローゼンタール監督の芸術映画である『バットボーイズ』があります。

この映画は、何よりもショーン・ペンの印象的な演技で記憶に残る名作でした。

『アートの格付け』で言えば、《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》です。これも近代特有の芸術の構造でした。

つまりこのショーン・ペンの『バットボーイズ』は、近代の古い芸術の構造なのです。今日の情報化社会の《第101次元》から《第200次元》までのバーチャルリアリティ領域を持つタランティーノや、コーエン兄弟の映画のような、新しい芸術映画とは、違うものなのです。
コーエン兄弟『バートン・フィンク』(1991年)
《超次元》〜《第200次元》の《真性の芸術》

さて、ここで見てもらいたいのは、古い近代芸術の『バットボーイズ』です。
ストーリーは、敵対する不良グループを率いるパコの弟を事故死させたことにより、シカゴの少年刑務所に送られたショーン・ペン演じる所のミックの悲劇と所内の殺伐とした抗争劇を生々しく描いています。

この芸術映画である『バットボーイズ』と、エンターテイメントであるマイケル・ベイの『バットボーイズ』を見比べる時に、古い芸術と新しいエンターテイメントとの対比は、際立ったものであると言えます。



《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》


《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》

《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》
《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》

《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》

《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》

《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》

《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》

《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》

《超次元》〜《第50次元 戦争領域》の《真性の芸術》



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