awでの批判に2つ答えて [状況と変動]
awというメーリングリストで、疎開についての批判のメールが、あったので、それへの反論を2つ書いています。
特徴的なことは、同調性を他者に求める事です。お互いに赤の他人で、違う事を考えているという前提が抜けています。
1
○○○○様
下記ご意見、私も同感です。
多数の方のご意見が、ご指摘のものであることは、
その通りであると思います。
しかし、別の事を考え、実行している少数者がいるのです。
その少数者を非難したり、排除したり、同調を強いることが問題な
のです。
社会の中には多数派と少数者がるし、
そのような多様性を容認しないと、社会の柔軟性と、活気は失われ
るのです。
多数者の同一性だけで、大政翼賛会化した社会は、
戦中の社会のようなもので、破綻し、滅亡するのです。
彦坂尚嘉
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2
みなさま
疎開について話します。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人間の深い欲望の一つに、
「みんなと一緒にいたい」という、欲望があります。
《群れ》の欲望です。
もう一つ、自分の場所から、絶対に出たくないという欲望があります。
この「自分の場所」というのは、自分にとって心地よい《子宮》の
ような場所です。
これを《たこつぼ》と呼んでおきます。
《群れ》の欲望と、《たこつぼ》の欲望は、
非常に強いもので、これが人生の目的とすら言えるものです。
多くの人は、この2つの欲望を人生の目的として生きています。
私は、その多数者の欲望を尊重するし、認めるものです。
しかし、この多数者の欲望は凡庸で、退屈です。
私は父親を知らない私生児として生まれましたし、
小さいときからいじめられて育っちました。
中学校、高校でも、いつも多数者に排除されて生きてきています。
排除されるのは、このawにはじまったことではなくて、子供
のころからなのです。
私は多数者の欲望に媚ない道を選んで、65歳まで生きてきている
のです。
それは、私の自由意志であるのです。
それを、いまさら校長に変えろと無責任に言われても,無理です。
よけいな、おせっかいはしないでください。
私の自己責任による自由意志を、弾圧しないでください。
校長と私は、無縁の、赤の他人なのです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
京都への疎開は、若いアーティストたちを被爆させたくないからです。
被爆すれば、10年を目安に、癌で死ぬ率が増大します。
全員が癌になる訳ではありませんが、癌の発生率は増大します。
今、30歳前半の若いアーティストを、40歳代で癌で死なせたく
ないのです。
私は、娘は、ふたり、カナダに、すでにやっています。
今日の原発の破綻は、20年以上前から予言されていたからです。
不勉強の人は知らなかったでしょうが、
反原発運動を勉強していれば、今日の破綻は、予言の実現化なのです。
私は、少しでも若い命を守る努力をしているのです。
私は、私の自己責任で、生きて、実行してくのであって、
多数者の共感を求めているのではありません。
石を投げる人は、お投げなさい。
彦坂尚嘉
ヘルプページ: http://help.yahoo.co.jp/help/jp/groups/
グループページ: http://groups.yahoo.co.jp/group/artandpublic/
グループ管理者: mailto:artandpublic-owner@yahoogroups.jp
・モバイル版Yahoo!グループ(ベータ版)にアクセス。
・旧Yahoo! eグループをご利用の方々は移行手続きをお願いします。
・Yahoo!グループのサービスはガイドラインに沿ってお使いください。
---
なお、投稿者は本メールの送信者欄に表示されている方です。
ちょっといいですか。
疎開は自由でしょう。
しかし、関西電力の原発が稼働して電力をまかなっているエリアに逃避したのなら、関電にデモでもかけて、原発反対を唱えてください。
「ノーモア福島、ノーモア原発」
原発の恩恵に無自覚によくしながら、自分が被害が少ないだろうエリアにいて東京電力のみを批判するなら、それはおかしなことですよ。
by nazonazo (2011-04-07 16:10)
nazonazo様
実際には、東京というか、藤沢にアトリエがあるので、2つの地域で行き来して生活を始めています。
自分の被害が少ない所にいて、批判するという事自体は、nazonazo三が言う「おかしい」事ではなくて、軍事的には正常で賢明な事です。いくらも歴史的にはありますが、分かりやすい所では、ドイツのナチスがフランスに侵攻した時に、フランス軍のドゴールは、イギリスに亡命して「自由フランス」を結成して、BBCラジオで対独抗戦の継続をフランス国民に呼びかけ続けます。
このように、亡命や、疎開をしての戦いの例は、歴史を見ると幾つもあるのです。もう一つ例をあげると、中国共産党紅軍を指揮した毛沢東の大長征があります。1934年 - 1936年にかけて、端金から延安まで10万の紅軍を移動させて、その結果数千にまでに減少させますが、無事に安全な延安に移って根拠地を築く事で、中国共産党は反撃して勝利を収めるのです。
軍事論的には、このような例は沢山あるし、同時に敵の武器をとって、それを使う事にも矛盾はないのです。原発の恩恵として電気を使いながら、原発反対を言う事は、軍事的には矛盾している事ではありません。
私は宇都宮藩の家老の家系なので、孫子の兵法や、葉隠、武士道、毛沢東の軍事論、マキャベリの君主論などを読んで来ています。こういう教養からすれば、ご指摘の矛盾は当然の事であって、何の問題もないのです。
余計なことですが、彦坂家というのは宇都宮戦争で、壊滅しています。祖父だけが生き延びて私に血が残っているだけです。
つまり具体的な闘争というものや、現実の社会の動きというものは、
nazonazoさんのご指摘のような素朴で単純なものではないのです。もう少し、勉強をなさったら良いと思います。
by ヒコ (2011-04-09 01:22)
それではお尋ねいたしますが、あなたは将軍なのですか?
違います。いち市民です。
私には失礼ですが冗談に聞こえます。
何の戦争をしているおつもりですか?
いち市民が「軍事的」に疎開して、何を攻撃するのですか?
いち市民が「勝利する」とはどういうことでしょうか?
今回の場合、どこにいても生き延びる人は生き延びるでしょう。
「日本の原発政策」そのものを批判しない限り、それは瑣末なエゴイズムではないでしょうか。
by nazonazo (2011-04-11 16:55)