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May J /《第200次元》の音楽 [Jポップ]

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May J.(メイ・ジェイ、1988年生まれ)というのは、、日本のR&Bシンガー。2006年にデビュー。4カ国以上を話すマルチリンガルの両親のもとで育ち、英語、日本語、ペルシア語を話すという女性です。3歳よりバレエ、声楽、ピアノをはじめとする音楽教育を受けています。

母親は、イラン、ロシア、スペイン、イギリス、トルコの混血。
父親は関西生まれの日本人。

両親は語学、音楽学校を経営している。

May J の音楽は、たいへんにうまいもので、高度な音楽性を持っていて第101次元〜第200次まではあるのですが、この領域はバーチャル・リアリティの領域なのです。






彦坂尚嘉は、海外の音楽ばかり聞いていると思われるのは事実に反するのです。邦楽と呼ばれる日本の音楽は、Jポップ、そして日本のジャズや歌謡曲、さらに全国の民謡から、義太夫や長唄、小唄、さらに雅楽、アイヌの音楽まで聞いてきているのです。

アイヌの音楽を聴いて、そしてMay J の音楽を聴く時に、アイヌの音楽が持つ原始的なリアリティと、May J の音楽が持つコンピューター時代のバーチャルリアリティの比較が可能なのです。

DSCF3654.JPG

アイヌの音楽

彦坂尚嘉責任による[アイヌ音楽
]に対する芸術分析


《想像界》の
で《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント

《象徴界》の
《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント

《現実界》の
《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント



《想像界》だけの表現。
絶対零度の様態をもつ原始的な表現。


《シリアスな歌唱》
《ローアートの歌唱》
シニフィアンな歌唱
原始脳の歌唱と音楽


《原始歌唱と音楽》 『ペンキ絵』的な歌唱と音楽【B級音楽】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》
《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》
の全概念梯子が無い

《原大衆音楽》が有る。

大衆音楽性が有る。しかし
貴族芸術性が無い。


作品空間の意識の大きさが《群れ》である。
鑑賞構造が無い。
情報量が0である。
クリエイティヴでは無い。



彦坂尚嘉責任による[May Jの音楽]に対する芸術分析


《想像界》の耳で《第101〜200次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の耳で《第101〜200次元》の《真性の芸術》
《現実界》の耳で《第101〜200次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界のある重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現。


《シリアスな歌唱》と《気晴らし的な歌唱》の同時表示
《ハイアートの歌唱》と《ローアートの歌唱》の同時表示
シニフィアンな歌唱とシニフィエ的歌唱の同時表示
理性脳の歌唱と原始脳の歌唱の同時表示

《透視歌唱と音楽》 オプティカル・イリュージョン的な歌唱と音楽【A級音楽】

《原芸術》が有る。
しかし《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子が無い。

《原ポップス》は無い。
しかし《ポップス》《反ポップス》《非ポップス》《無ポップス》《世間体のポップス》《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子が無い。

大衆音楽性と貴族音楽性の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。
《愛玩》《対話》《驚愕》の鑑賞構造が有る。しかし《信仰》《瞑想》の鑑賞構造は無い。
情報量が100である。
クリエイティヴで有る。


というわけで、May J の音楽の中に《第200次元》までの有る音楽を発見しています。
May J の音楽が持つコンピューター時代のバーチャルリアリティというのを明らかにするために、図式化すると、次のようになります。



200次元-上部構造.jpg

同じものですが、さらに領域名を書き込んだものです。

200次元-3.jpg



May Jの歌というのは、上に掲げた図のように《第101次元》から《第200次元》の山吹色のバーチャル・リアリティの上部構造だけで空中浮遊している音楽なのです。一方のアイヌの音楽は、下部構造の《第6次元 自然領域》だけの音楽なのです。

May J の音楽は魅力的であるし、おもしろいのですが、音楽の下部構造、特にその中心の《第6次元 自然領域》を欠いている故に、フッサールの言う《第一次生活世界》への基礎づけを欠いています。つまりアイヌ音楽のような民族音楽への基礎づけを欠いている音楽なのです。

フッサールというのは現象学という哲学を切り開いた数学出身の哲学者です。《第一次生活世界》というのは、人間の普通の生活です。動物的な生活で、食欲とか性欲を中心に直接的な感覚で動いていく生活です。彦坂尚嘉の『アートの格付け』ではアイヌ音楽の存在する《第6次元 自然領域》という場所です。May J の音楽というのは、人間の直接的な等身大の生活世界から浮き上がった、抽象的なバーチャル・リアリティなの基盤の上で踊るような音楽なのです。

フッサールは、人間の直接的な生活世界である《第一次生活世界》への基礎づけを重視しました。基礎づけというのは、基準であるとという事です。ものごとを考える基礎が、人間の普通の直接的な生活であるという思想です。

 柄谷行人は、そういうフッサールの様な思想のあり方を、保守的で退化的なものに価値を置く反動であるというような言い方で批判しています。言い換えると、柄谷の思想は、人間の普通な直接的な生活の基礎=アイヌ音楽的な基盤を捨てて、もっと抽象的なバーチャル・リアリティな思考を押し進めた人で、分かりやすく言うと空中浮遊するような空論的思考であったのです。

空中浮遊の音楽であるMay Jの音楽の楽しさは、柄谷行人の空論の魅力に似ています。非常にかっこよい表現と、そして「うつろい」が持つ輝きの空しさを聞いていただければと思います。

May J. -.JPG


mayj_Aphoto_new.jpg


芸術分析的なもう一つの特徴は、May J の音楽は、ポップスであるのですが、《原-芸術》性をもっていることです。決して《芸術》ではないのですが、《原-芸術》性はあるのです。このようなポップ音楽の良質性は、Jポップと言われる音楽の優秀性を示すものです。同時に、《原-芸術》というものが持っている重要な力なのです。今日においては、このようなポップミュージックの中にも《原-芸術》は潜在しているのです。

にもかかわらず日本の美術作品においては、《原-芸術》性を欠いている作品が多くあるのです。それは奇妙な芸術の喪失の状況が、日本の現代アートの中に生じている事なのです。



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